911回想:2004年のメモより



この写真は、2019年9月11日にハーレムのアパートの屋上から撮ったものです。

うっすらとトリビュートの光が見えます。




さて、今日は September 11th. 911(ナイン・ワン・ワン)です。

あれから19年。

早いですね。



911があった後、毎年のように「あの日」のことを書いてきたけれど、ここ数年は「あ、今年も来たか」と、だんだんと薄れていっているような気がします、いろんなことが。



そんな中、荷物整理していたら2004年のメモが出てきたので、せっかくなのでシェアします。



長いですよ〜〜〜〜〜。



2001年9月11日午前9時。衛星からの映像




あれから3年経ちました。

他の人同様、あたしにとって9.11のテロはものすごい事件でした。

かといって、友だちのように「たまたまWTC横にある郵便局に行ったらWTCから飛び降りている人を見た」とか「お隣NJ州からハドソン川を船でマンハッタンに向かっているときに、WTCが崩れ落ちるのを見た」とか、そういった「劇的」なことは経験していません。

ただ遠くに、黒煙を吐き出しているWTCを地下鉄の駅から見ていたくらいです。

その日、9月11日、あたしはマンハッタンにはいませんでした。



当時住んでいたクイーンズのアパートにいました。

寝ていたのです。

前日の予定ではセントラルパークを走ることにしていました。

というのも、11月4日に行われる「NYCマラソン」に参加することになってたのでトレーニングをしなくてはならなかったのです。

とりあえず8時20分過ぎに目覚ましを鳴らしたのです。

起きて、いつも見ているNY1(ニューヨークのローカルニュース局)で天候チェック。

「いい天気だな、走らなきゃ」と思いつつ、また寝てしまったのです。

そして1時間後にテレビをつけてみたら……とんでもないことが起きていたのですね。

9時20分にまた目覚ましが鳴って、同じようにNY1をチェック。番組では10分毎に天気予報を流してくれるのに、流さない。そして画面はなぜか黙々と黒煙が出しているビルを延々と映している。

あたしは一瞬、何が映っているのかがわからなかった。



黒煙は画面左に流れていて、立方体を描いていて。

朝日に反射してきらきらしていたWTC。



あたしは「ここはニューヨークなのに、なんでパリの新凱旋門が映っているんだ?」と思ったほどでした(パリの新凱旋門はガラス張りで出来ていると聞いていたのです)。

それから注意してニュースを聞いていても、何を言っているのかわからない。チャンネルを変えてみてもよくわからない。「ワールドトレードセンター」という言葉だけが聞き取れたのです。



CNNに替えたとき、画面下に流れているテロップを読んで「ボストン発の飛行機がワールドトレードセンタービルに突っ込んだ」ということがようやくわかったのです。

そのときのあたしの素直な感想としては「うわ、なんかすごいこと、起きてない? これは早くお店に行ってみんなに伝えなきゃ」。そういった感じでした。

つまりイチローが新人なのにオールスター戦にトップで選出されたとか、シンジョー(当時メッツにいました)が逆転HRを打ったとか、そういったレベルと同じにしか考えてなかったのです。

まさかこんなすごいことに、そして後からボディーブローのように効いてくる、大惨事になるとは露ほども思ってなかったのですね。

というのも、飛行機が突っ込んだのを生で見ているわけではなかったし、繰り返される映像を見ても、どこか良くできたハリウッド映画のようで、現実感が少なかったのです。

それから着替えて地下鉄の駅へと向かいました。

当時は日本食レストランで働いていたので、そろそろ出ないとランチタイムの準備に間に合わないからです。



通りはいつも以上に人が溢れかえっています。そしてホームにも。

あたしが利用していた地下鉄は7番線。

タイムズ・スクウェア(当時。今は34丁目まで延びている)からフラッシング(一つ手前にメッツの本拠地のシティーフィールドやUSオープンテニス会場があります)を結んでいる、紫色で表されているラインです。

クイーンズに入ってからは地下を通らず地上を走っている高架線です。


あたしはいつもホームの先端に行って、前方に見えるマンハッタンを眺めるのが好きでした。

ほぼ正面にクライスラービル、その横にエンパイアーステイトビルディング。そして左に見える、WTC。




この日の朝も、いつものようにマンハッタンを眺め、左へ目線を移動させると黒煙を吐き出しているWTCが見えます。

テレビ画面で見たのと同じ光景が、遠く肉眼で確認できました。

あたしはとにかく早くお店に行って、何が起きているのか確認したかった。個人で持っている情報量があまりにも少なかったからです。

でも地下鉄は来ません。

ホームに設置されている公衆電話からお店に電話してみると「マンハッタン内の地下鉄も動いてないので誰も来ていない」とマネージャーが言いました。

きっとこの時間に多くの人がビルから飛び降りていたのかもしれません。

地下鉄を諦めてバスを使ってマンハッタンに行こうと思いました。でもやってくるバスは満員で停留所に止まることすらしなかった。来るバス来るバス「次を待て」というサインが出ています。

あたしが住んでいた場所は、クイーンズのスパニッシュ・ハーレムと呼ばれている場所で、中南米から(主にメキシコ、コロンビア、エクアドル)移民してきた人たちが集まってるところでした。

大通りでは皆がスペイン語で話しをしていました。街角の電気屋に設置されているテレビを見ても、黒煙を吐き出しているWTCを映し出しているだけで、何も進展していません。

これはもうラチがあかないと諦めてアパートへと帰りました。

この日ほど英語が、スペイン語がわからなくて不安になった事はありません。

家に帰ったら友だちから電話があって「生きていたね!」と開口一番に彼女は言いました。

彼女は日本に住んでいるご両親からこの事件を知らされ起きたそうです。

日本では飛行機が突っ込む時間がちょうどプライムタイムで、多くの人がテレビを見ていたでしょうが、こちらでは朝で、あたしのように寝ている人たちが多かったのです。友だちのほとんどが日本からの電話でこのテロのことを知ったのです。

さっそくネットにつないでみると、友だちから「生きているか?」メールが入っていました。

はっきり言って、この時点での危機感は日本に住んでいる人たちのほうがあったでしょう。

というのもWTCはあたしが住んでいたアパートから遠かったし、ましてやマンハッタンとクイーンズという距離があります。



東京で言えば、吉祥寺駅と東京駅といった距離でしょうか。

もうちょっと遠いかもしれません。

つまり、危害はまったく及んでないのです。

あたしが「どうなってしまうの?!」と、本当に危機感を、どこかで自分とはまったく関係ない、映画のような感覚で見ていたことが現実だと痛感したのは、画面の中で崩れ落ちていくWTCを見てからです。

ちょうどニューヨークに住んでいる友だちと電話しているときで、お互い言葉を無くしてしまいました。



❖ ❖ ❖

翌日12日、あたしは現場近くまで行ってみようと思いました。

というのも、こんな事態になってお店は臨時休業。

一人でいても不安が広がるだけだったので、ダウンタウンに住んでいる友だちJくんにに電話して逢うことに決めました(彼氏、いなかったのよね~)。


このテロで日本でも有名になった当時の市長ジュリアーニが厳戒態勢を布きました。


14丁目以下は住んでいる人以外入れないと決めたのです。しかしJくんは0丁目に当たるハウストン通りのさらに下に住んでいます(ロウワー・イースト・サイドです)。果たして彼に会うことは出来るのでしょうか?

11日同様、ホームに立ちました。

クライスラーとエンパイアーは見えます。

そして昨日、黒煙を吐き出していたWTCはありません。

何も、ありません。

白煙がうっすらと空へ向かっているのが見えています。

やってきた地下鉄に乗って、一路マンハッタンへと向かいました。



この日も前日同様に空は青く、透き通っていました。



やがてマンハッタンが近づいてくるにつれ、街全体が煙りがかっている感じでした。時刻は午後3時過ぎ。昨日の黒煙と違って今日は白い煙が見える。

14丁目以下は地下鉄が動いてないという話でしたが、実際は0丁目に当たるハウストン通りまで動いていたのです。しかしそこから下は閉鎖。

あたしがハウストン通りで降りて地上に上がったら、こんなに静かなことってあるのか? というくらい人影が見えませんでした。ちょっと風があって、木枯らしの舞う音に紙コップが動く音。



よく映画なんかで「さ、これから悲惨な出来事が起きますよ」という前触れのような静けさです。生活感のない感じ。さすがに車は14丁目以下は入れなかったのか、それも手伝って非常に静かだった、気持ち悪いくらい。お店もシャッターが降りていた。

彼と待ち合わせしていたお店も案の定閉まっていて。

近くにある電話から彼に連絡すると、そこには友だちのHちゃんがいて、こう言いました。

「ハウストンから下は誰も入れないよ。通りにたくさん警察がいるでしょ? 昨日(11日)友だちの家に泊まってて、家に帰ろうとしたら帰れないの。アパートに住んでいる証明書がないと入れないの」

Hちゃんはハウストン通りとブロードウェイにあるアパートに住んでいました。SOHOですね。彼女の住んでいるアパートはハウストン通りからすぐ見える場所だったのです。

彼女は警察に一緒にアパートに行って自分が住んでいる証明をするからと頼んでもダメでした。不幸なことにルームメイトもいなかったのです。

たしかにハウストン通りにはたくさんの警察がいました。どうやらハウストン通りの東から西一杯にいるみたいです(その距離はJR新宿ー代々木間くらいでしょうか)。

あたしはJくんに電話して、彼が閉鎖エリアに住んでいる証明書を持ってきたので「友だちだから」ということで入れてもらいました。確かにHちゃんの言うとおりIDを持っていない人も何人かいて、入れず怒っている人もたくさんいました。

とりあえずあたしたちはお腹が空いたので、近所でごはんを食べながら、ノストラダムスの予言が二年後にやってきた、とか、もしかしたら第三次世界大戦になってしまうのか、とか、そんな話をしていたのです。

このときに流れたウワサで、日本の某飛行会社が無料で2機、ニューヨークに住んでいる日本人を帰国させる便を飛ばすというのがありました。

たしかにこれをきっかけにたくさんの人が日本に引き揚げたけれど、あたしはこれからニューヨークが、アメリカがどうなっていくのかを見ていこうと思ったのです。

ごはんを食べた後、Hちゃんは無事アパートに帰ることができ(いったん中、ハウストン通りより下に入っちゃうと行動は自由自在)、あたしは彼のアパートの屋上にあがってWTCのほうをみました。

白い煙がもうもうと上がっていて、なんだか臭います。

時刻は夕方の6時過ぎ。

まだまだ明るいです。

「ぼくはWTCで働いてなかったけれど、隣のビルだったんだ。一緒に崩壊しちゃったよ。思ってもいなかったバケーションだよ、いつ終わるかわからない」と、先に屋上にいた白人のおじさんが淋しそうに笑いながらあたし達に教えてくれました。



あたしはなんと返事をしたらいいのかわからなく、ただJくんと首を横に振るだけです。

それから気分を変えようと外に出ると、3時過ぎの静けさがウソのように、通りにはたくさんの人がいました。こんなときに不謹慎かもしれないけれど、やることがなくって映画でも見ようかという話になって、近所の映画館まで行ったら閉まっていました。そこには何人かやはり人がいて、ボランティアをやったりしている人たちがいると同時に、あたしたち同様に現実逃避をしたい人たちもいたのです。

仕方がないから、なんとなくハドソンリバー沿いと上がることにしたのです。

振り返ると、煙が見える。今までは普通にWTCがあったのに。

風に運ばれ、きな臭く、ほこりっぽい。



❖ ❖ ❖

ところで「パラレル・ワールド」ってご存知ですか?

「パラレル=平行」「ワールド=世界」ということで、「平行世界」。

あるいは「平行時空」「平行宇宙」


つまり、今現在自分がいる場所と同じようなことがどこかの次元で起きていて、見た目は一緒だけれど実はまったく違う内容が行われている世界のことですね。

よくSF小説や映画なんかに使われているアレです。お母さんの顔は同じだけれど性格が違っている、みたいな。

あたしがそんな感覚に陥ったのが、アタックがあった翌日の12日でした。

当時住んでいた場所はうるさかったのです。

いつもラテン音楽ががんがん鳴っていて近所迷惑なんぞ気にもしない(一度どなりこんだことがあります。スペイン語で怒ったら驚かれました)。

英語よりもスペイン語だけを話し、野球よりもサッカーを心底愛し、ハンバーガーも好きだけれどやっぱりタコス(って、これはメキシコ人ですね。他の中南米系の人たちも母国料理を愛してやまないのです)、星条旗よりも母国の国旗を掲げている。

そういう人たちがわたしのご近所さんだったのです。

ところが12日。

一歩外を出たら、いつも聞こえてくるメレンゲ(ラテン音楽の一種)が聞こえてこない。

そして必ず誰かしら外でぶらぶらたむろしている人たちがひとりとして見あたらない。

英語よりもスペイン語が飛び交っているのに、スペイン語が何ひとつとして聞こえてこない。

地下鉄駅のある大通りまで、音という音が聞こえず、そして誰一人として他人がいない。

いるのはたった自分一人だけ。

2年住んでいて、そんなことはこの日が最初で最後です。

あたしは一瞬、自分が今どこにいるのかわからなくなったのを覚えています。

あたしが今立っている道路に足はついていたのだろうか? 

もしかしてぐにゃりと歪んでいるのに気がついていないんじゃないだろうか?

そんな感覚に本当に陥ったのです。

だから大通りに出て、ラテン音楽が聞こえてきてホッとしたのを覚えています。



「ああ、あたしは自分の世界にちゃんと属している」。



そんな感じでしょうか。

そして同時にあたしが不安になったのが、窓から見えた『星条旗』のせいもあったのでしょう。

母国の国旗とともに星条旗。

街中を走っていた車、もちろん消防車にも星条旗。

とにかくいたるところに

星条旗、星条旗、星条旗……! の、嵐!

あたしは気分が悪くなったのを覚えています。

いまこそ我々アメリカ人として誇りを持って、この旗のもとに団結しようじゃないか。

なんというのか、ナチス的というのか、帝国主義的、そんな気がしたのです。

ところがアメリカ在住の長い日本人の人に聞いたら「彼らは国旗を持つことによって力が出て来るというのかな。とにかく元気の元なのよ。けっしてナショナリズムじゃないのよ」と言っていて。

そんなものなの? と不安になりながら思ったのを覚えています。

アタックから4日目ぐらいに、ブッシュ大統領がグラウンド・ゼロにやってきたとき、作業員が大きな声で「USA! USA!」と大合唱していたのを不思議だなと思ったんですよね。

だって、まるで自分の好きなチームを応援するような感じと一緒だったんですから。

オリンピックじゃないところで、拳をあげて「USA」の大合唱。

俺たちは負けない。

立ち直ってみせる。

そういった意味も含めての国旗を掲げていたのでしょうかね。きっと。

日本人のように「静かにじっと黙々とやる」という感じではなく「おら、おら、おら、おれたちゃやるぜ!」という感じ。

それでもやっぱりなんだか気持ち悪かった。

あたしはよくアメリカ人に対して(これはちょっと差別的だけれど、おうおうにして白人のことを示すのです)「にぶちんな人々」と考えていました。

とにかく「大味」とでもいうのでしょう。

日本食ひとつにとっても「なんでも辛くすれば美味しい」みたいな(だってわさびを醤油で練って寿司つけて食べるような人たちでっせ)、日本人のような、いい意味でも悪い意味でも「繊細さ」に欠ける人たちだと思っているのですね。

それに関してはほとんど今でも代わってはいないですが、反面ものすごいタフだと痛感したのもこのアタックのときでした。

この混乱の中、淡々と仕事をこなし、16日からは地下鉄がWTC付近を除いて通常通りに交通機関を運行させる。WTCの周り以外は何事もなかったように日常生活が行われたのです。

もちろん毎日のようにボランティアを申し出る人たちは後を絶たず、とにかくニューヨークのために(ニューヨークのために、であって、決してアメリカのために、じゃなかったと思うんだ、あたしは)。

さてアタックから5日経った16日、あたしはといえば、思った以上にこの事件が身体にゆっくりとボディーブローのように効いてきて、いささかツライ時期に突入しだしていたのです。

アタック当日の11日から4日間。4大ネットワークとともにCNNを始めコマーシャルなしでずっとこの事件の様子を流していました。

幾度となく繰り返されるタワーへと突っ込んでいく飛行機、そして崩れる映像。

サブリミナル効果のおかげで、未だに(はい、今現在です)その映像を見ると気持ち悪くなります(後に、やはり子どもたちに悪影響を与えるということで一切映像を流すことが禁止されました)。

このころになると「報復をせずにはいられない」的感情が渦巻き始めていて、ゆっくりと大いなる力が「戦争」という方向へ向かっている感じでした。

見えない力が支配しだしている感じで、自分一人だけ精巧に作られた、一見同じに見える都市に投げ込まれたような、まさにパラレル・ワールドにいるような違和感があったのです。

このときの不安は、どう言葉で表しても伝えることはできないでしょう。

でもそれは、きっとあたしが日本人であってアメリカ人じゃなかったからなのかもしれません。

「結局ね、根底には“オレたちはアメリカンだから”っていうのがあるのよ。お前は違うだろって言われるんだよね」と、大学生の友だちは言っていました。

アメリカが攻撃されたんだ。だから報復はするんだよ。

お前はアメリカ人じゃないだろ? だからわからないよな、俺たちの気持ちなんてさ。

そう、感じたそうです。

でも、ここニューヨークは世界で一番人種が入り組んでいる街じゃない。

なぜ攻撃されたのか、彼らは考えられないのだろうか。

9月20日付けの日記を読むと、アメリカ国民の80%が報復するべきだ! と叫んで団結していると書いてあります。

たしかこの時期のブッシュ支持率は軒並みに上昇して80%くらいまでいったはず。

市長のジュリアーニにいたっては90%を超えていたような。

ものすごい力がうねりまくっていたのでした。



❖ ❖ ❖



911があったことによって、あたしは「目の前が真っ暗になる」と言った状況を初めて経験したと思います。



というのはまず第一に当時住んでいた家を出なくてはならなくなったこと。

第二に仕事時間が減らされてしまったこと。 第一の住んでいた家を出なくてはならなくなったというのは、非常にきつかったです。それも9月一杯に出ていけと言われたときは、井上陽水さんが歌っている『傘がない』状態だと思いました。

そして、日本からやってきていた観光客および在日本人でほとんど経営が持っていたレストランで働いていたのに、このテロのおかげで核となるお客がいなくなり、経営ががくっと、まさに急降下してしまい、給料も減らされ今後どうやって生活をしたらいいのか、本当に途方に暮れました。

家賃はどう考えても上がるし(当時あたしが住んでいた部屋は四畳半もないほどの狭さで月300ドル)、で収入は半減。

日本に住んでいる友だちからは「日本へどうして帰ってこないの」と言われたりしたけれど、あたしはニューヨークにとどまることを決心。

さて、どうにかあたしは新しい家を見つけました。

場所はハーレム127丁目。

そうです。

この事故がなかったら、あたしは恋して、愛してやまなかったハーレムに住むことがなかったのかもしれなかったのです。

そして2001年10月3日。

あたしはハーレムに引っ越しました。

新しい生活の始まりです。




自分の生活に手一杯になっている間に、アメリカはアフガニスタンへの戦争を決定しました。

「戦争になったらどうなるんだろう?」

そんな不安で一杯だったのに「戦争が起きたってアメリカ本土にはなんの影響もないわよ。だって戦地は他国なんだから」と言われて妙に納得したのを覚えています。

あたしは本当に怖かった。



いつもなら自由奔放な「やりたいんだったら、やったらいいよ。だってここはニューヨーク。誰にでも可能性はあるんだから!」といった空気が流れているこの街だったのに、あのテロが起きた数週間の間で「戦争をやる意外にいったいどんな方法があるんだい?」そんな重い空気が充満していたのです。

少なくともあたしには、そう感じられました。

誰とも無く、後ろから押されるような、そんな、逆らえない力が働いていた感じでした。

そのころになると「検証、9.11」のような番組がテレビで流れだしました。

友だちが何気なくつけたテレビ画面の中でやっていた内容は、なんだかすざましいものでした。

画面一杯に広がるオレンジ色。

液体だったそうです。WTCにぶつかった飛行機の速度と燃料(ロケット燃料というのは燃焼率が普通のエネルギーよりも高いそうですね。ちょっと詳しいことがわからないのですが)の摩擦熱で想像つかないほどの熱が発生したらしく、画面に広がっていたオレンジ色の液体の正体は、なんと溶けた人間だと言うのです。



「焼けた」のではなく「溶けた」。

今は差別ということで発行が禁止された某絵本に出てきた、熔けてバターになってしまったライオンのように、人間も想像を絶する熱で溶けてしまった。

そして、ビルが倒壊して逃げまどう人々に飛び散っていたものは、ビルの破片ではなく「熔けた人間」だったと。それはまるで完熟し過ぎてしまった、腐敗一歩手前のトマトのようなもの。

テレビのナレーションはこう締めくくったそうです。

「行方不明者は誰一人として生きてないだろう」と。

ものすごい倒壊をみせたビルの跡地で、遺骨や所持品がでてくるだけでも奇跡ということだったのでしょう。




❖ ❖ ❖

あのときのことをこうやって回想してみると、ずいぶんとショックな出来事であることがつくづく思い起こされます。

日本からやってくるお客さん(観光客)が一気に減り、生活も一転しました。

なんだか重い空気がまとわりついていて、すかっとさわやかな感じにはなりません。

思うに、ニューヨーク全体が「癒し」が必要だったのではないでしょうか。

そんな中、毎日のように聴かされていた『ゴッド・ブレス・アメリカ』。

良い曲です。最近は聴くとうんざりします(いつまでも「アメリカに神からのご加護を!」と言っている場合じゃないですからね)。

でも、当時は「非国民だよね」といいつつ、流れると友だちと一緒に口ずさんでいました。

そんな中で、いつもよりも夢中になったのが大リーグでした。

メッツもそこそこがんばったのですが(余談ながら、メッツのほうがテロ以降先に試合がニューヨークで開催され、その復帰第一戦にはなんとダイアナ・ロスがきて『ゴッド・ブレス・アメリカ』を歌ったんですよ。あれ、国家だったかな?)、やはりヤンキース。

イチローと佐々木がいたシアトルとチャンピオン・リーグを戦っていました(これに勝ったほうがワールド・シリーズに行けるというとき)。ヤンキースが勝って、アリゾナのチームとワールド・シリーズを戦うことになりました。

11月1日に入ったとき、アナウンサーが「Wao, ミッドナイト(つまり、夜中の12時を越えたのです)。大リーグ至上初めて11月に試合が行われている」と言いました。


画面にはニューヨークの貴公子ことデレク・ジーター。


彼はこのとき、HRを打ちました(確か同点弾)。

まさにスーパースターの貫禄。



この試合に象徴さえるように、サヨナラHRの連続などと興奮する試合の連続で、普段あまり野球を見ない人も応援。



ニューヨーク全体が「レッツ・ゴー・ヤンキース」だったのです。

そのもっとな象徴は当時の市長ジュリアーニでしょう。

彼は大のヤンキース・ファン。彼を球場で見ない日はなく、勝ったらマウンドまで行って選手と握手をし、まるで監督のようです。

11月4日は泣いても笑っても最終戦でした。

対戦成績は3勝3敗。これで全ての結果がでます。

その日はニューヨーク・シティー・マラソンでもありました。

市長は毎年毎年挨拶をし、スタートの合図をやってくれます。

「このテロの中、観光客が減っている中で、世界各国からニューヨークにきて、走りにきてくれてありがとう」。

彼はそうスピーチしました。

上空には5台はいたヘリコプター。

ワン・ブロックごとに、交互にいるNYPDとファイヤー・ファイターのひとたち。

そして最後に彼はこう叫んだのです。

「レッツ・ゴー・ヤンキース!!!」

これがスタートの合図でした。

結局負けちゃったけれど。

なんとなく、ヤンキースにニューヨークの復活を夢見ていたのかもしれないですね。

叫びながら「オレたちは負けないよ」と、自分たちをまさに震いたたせていたのです。

蛇足ながら、この年のポストシーズンは名勝負ばかりです。

たくさん、身体が震える試合を見てきたけれど、この年は宝庫でしたね。

***********

今年は大統領選挙の年です。

2000年から4年経ちました。

テロが起きてから3年経ちました。

もし、ゴアが大統領だったらテロはなかったと多くの人たちが言っていたことです。

でもテロは起きてしまって、WTCはなくなりました。

あれからアメリカ人はいったい何を学んだんだろう。

初めてアタックされて、ショックが隠しきれなかったアメリカ人。

その後、イスラム関係に関する本が飛ぶように売れ出したといいます。

当時19歳だったアメリカ人の友だちは「戦争? なるよ。勝つかって? 当たり前じゃん。アメリカは強いからね。世界のリーダーだからね」と言っていました。

「第二次世界大戦の日本をみろよ。そりゃ原爆を落としたのは悪かったけれど、でも、その後アメリカの協力で日本は立ち直っただろ? ヨーロッパにしたってそうじゃん。アメリカが協力しているからこそああやっていられるんだ。だから今回だって、アフガンを救いに行くんだよ」とも。

んまあ、なんたるアメリカ的ご都合的な考えでしょう。

どうしてそこまで傲慢になれるんでしょうね。

ならばベトナムはどうなるっていうのでしょうか?

「ごめん。それ言われると……学校でちゃんと教わってないよ」と。

日本も戦争のとき、中国を始めとした東南アジアでどういったことをやっていたのかキチンと授業で教えてくれないから、その辺りは同じなのかもしれないですね。友だちの意見はいちアメリカ人の話とはいえ、そういう人が多かったのかもしれないでしょう。そして今も「アメリカ至上主義者」は後を絶たないと思います。

たしかに9.11は大きなターニングポイントだったでしょう。

それはアメリカだけに限らず、世界に大きな衝撃を与えた事件だったから。

でもいつまでもそれを「だし」にして欲しくないのです。

アメリカ在住のあるライターの方が書いたのを読んだら、今年の9.11の祭典は他の州では大きく報道されなかったようです。やって5分とか、それくらいだったそうです。

あたしの印象としても、もちろん1周忌は、チェロリスト、ヨー・ヨー・マがグラウンド・ゼロで生演奏をしたり、まだまだ「リメンバー・9.11」感が強かったけれど、今年は「あ、9.11が来るんだ。あれから3年経ったんだ」といった、あまり仰々しい感じはありませんでした。



それよりも「あまり騒ぎ立てないでくれ」。



これが本音です。

静かに日を過ごそうよ。

ところが9.11前にニューヨークにどかどかと土足で入り込んできたブッシュ。

そうです、共和党大会がニューヨークで開催されたのです!

ニューヨークは青い州。つまり民主党を応援している人が多いところ。

道路が封鎖されて迷惑でした。

その共和党大会でブッシュは「我々は9.11から変わったのだ!」と叫んでいましたけれど、なんだか、もう、うんざりです。

あのテロのおかげでどれだけ移民が、つまり、アメリカ国籍を持たない人たちが過ごしにくくなったことか。

彼にはまったくわかっていません。

*****

2006年の今日、テレビ画面にはブッシュ大統領の顔がたくさん出ている。

あの当時、ある学校に通っていたアラブ系の子どもが先生に「ぼくは9.11休みます」と言っていたとか、彼らのコミュニティーでは「9.11にはWTCには近づくな」という話が出ていたとか、そんなウワサ話も後から出てきたものだった。

ブルックリンのバングラディッシュ・コミュニティーでは、ここ最近、また人が戻ってきたとニュースでやっていた(9.11の後、すごい勢いで人が流出したそうだ)。

回想を書いた時から二年経ったのに、アメリカはいったいどこへ行こうとしているんだろう。状況は悪くなっていっているような気がするのは、きっとあたしだけじゃない。

今日のニューヨークは、5年前と同じように、秋空がまぶしい日だった。



09/11/2020 in Harem



読み返すと、あの日のことが鮮明に、空気と共に、思い出しました。






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